日曜日朝5時

最後の最後まで失神したまま半期最後の夜を終えてしまった。
昨夜寝たのは何時頃だっただろうか?
 世界遺産を見ながら・・・だから結構早い時間に倒れたのである。
麦酒の空き缶が2本・・・失神するのはアルコールのせいだけでも
なさそうである。(しかしその引き金になるのだろう)
 失神することで夜に抵抗せずにそのまま無理やり休憩モードに
してしまうメカニズムが体を心を守っているのだろうか?
 そうでないと深酒と睡眠不足(下手したら不眠症)でもっと
とんでもない人生になってしまうかもしれない。
 だから失神することに抗っても仕方がないかもしれない。

さぁ、朝からまた先日いただいたCDを聴かせていただいている。
昨日の朝はなんだかシカゴの週末の朝(それも秋)を想い出た。
熱くて薄いコーヒーに甘いだけのドーナッツが欲しくなった。
だが日本ではあの手の熱くて薄い珈琲がなかなか見つからない。
 ただただ濃い!か砂糖やミルクを混入させないと飲めない代物だけだ。
まぁ自分で作ればいいだけなのだが・・・。
一方で真冬に糞不味い日本の缶珈琲が欲しくなったりするから
人間っていい加減である。
 でもどんな地獄の珈琲でも出されたものは感謝していただく。
だが実弟と体験を共有する地獄の珈琲だけは怖い。
家業見習いをしていた若い頃、ある現場に定期的に行っていた。
仕事が終わるとそこの責任者が珈琲を自らいれてくれた。
 勿論インスタントなのだが珈琲粉も砂糖も牛乳粉も尋常でない量なのである。彼にしたらすっごい丁重に扱いたいという気持ちなのだろう。
せっかくなので飲み干すのだが・・・トイレに直行しないとならないくらいの
濃さなのである。そのまま地面に撒いたらアスファルトの道になりそうなくらいの濃さである。
我が親父はその現場に来ると珈琲を嗜好しない人間に早変わりし、
「さぁ、おまえらいただけ」と息子達を人身御供にしてしまうのである。
あの地獄の珈琲を思い出すだけでお腹がグルグルしてくる。
そしてお尻の穴を締めてしまうのである。