『1Q84』村上春樹 新潮文庫 Book 1 and Book 2

数年前に話題になっていた村上春樹の『1Q84』だったが文庫本化されるまで
ずっと待つことにしていた。
そして近年はそんな事すら忘れていた。
数ヶ月前に或る日突然そのことを想い出した。
丁度Book 1が出た翌日くらいに空港で手に入れることが出来た。
あれから一ヶ月が経った。
Book 2が出たのでエージェントに依頼してまたまた空港で入手してもらって
持ってきてもらった。
Book 3が出るのはまた今から一ヵ月後である。

暗い部屋でほとんど目が見えない様な状態で読み続けることが
困難なので、斜め読みする箇所もあった。


元々村上春樹を読み始めたのは完全に偶然の産物だった。
場所はイタリアのホテルの暗い部屋。
『太陽の西、国境の南』だった。
タイトルだけにひかれて読んだのであったが、タイトルと内容は直接関係ないことを
知った。

今世紀、21世紀になって初めて村上春樹の小説を読んだ気がしたが
よく思い起こすと、『アフターダーク』や『海辺のカフカ』を既に読んでいた。
どんな話だったかはすっかり忘れてしまったが。

『ねじまき鳥』が単行本化された頃のあのライヴ感は無い。

ただのこの手の話はある種の音楽と同じで周期的に読みたくなってくる
類のモノである。


相変わらず、村上の小説には具体的な音楽や文学や地名やブランド等々が出てくる。
読み手がその現実のモノから勝手にイメージを膨らませてしまう。
手口というかテクニックというか技巧というか、なんというか。やれやれ。


それにしても文壇というか文芸評論家たちは言いたい放題言っている。
まぁ連中は言うのが仕事なんだが、貧しい精神的な仕事であり、
ミッションなんだと思う。
絵画を含んだ芸術と同じで理解できるとか出来ないとかそんなレベルの話ではなく、
好きか嫌いかでいいではないか。
所詮どれもこれもエンターテイメントなのだから、ただの嗜好品である。
どんな銘柄の麦酒が好きか嫌いか、というレベルの話でいい筈である。
屁理屈つけてそれでてめぇたちが飯を喰っているという
お粗末な話なのである。

人生50年以上生きてきたおっさんやオバサン連中がそんなてめぇたちの
姿すら垣間見えていないのか?と思う。