須磨中

一昔前の『ケータイを持った猿』の頃の方が随分とマシだった様な気がする。
 (何故か)関西弁で大声でケータイに向って大声だ話しながら歩く、というのが当時の猿のイメージ。
当時はまだ固定電話の権利を7万だかで買わされていた時代。
 一体のあの権利はどうなったのだろうか?
電電公社かドコモか知らないがコミットする必要はあるだろう。
 集団訴訟として十分扱えるような内容ではある。

空港職員、税関官吏、入国審査官、警官…誰も彼も延々と須磨中なのです。
別に公務員だから、一般企業の労働者だから、という区別は無いが
税金で飯喰っていながら、業務の間に須磨中ではなく、須磨中の間に少しだけ
嫌々業務をこなす、というのが実情です。

今朝も大通りで取り締まっている警官2名もずっと須磨中で、しばらくじっと見ていると
独りが気が付きこちらを向いてニッコリ笑ったかと思うと、また須磨中へ。


まぁ多少悪いと思っているからか警察車輌の陰に隠れての須磨中。


それにしても須磨所作って人間の所作の中では一番無様な様な気がする。

片手でまでガラケイでメールしている姿の方がマシな気がする。

電車に乗って着席しても、食堂に着いて着席してもいきなり
須磨中になる人が多い。
何の必然性も無い行為。
だから中毒。

猿の頃は他人の目を意識したり、自意識過剰だったりと意識下の行動だったのが
須磨中は無意識の状態での行動なので完全中毒。

無様としか言いようがない。

大の大人があんな感じなので子供がのめりこむのもよくわかる。