To be free rider 9

中型免許を取って先ず最初に手に入れたのはXS400。
富山から来ている奴の兄ちゃんから譲ってもらった。
兄ちゃんは田舎の暴走族とやらで翌年の春で車検が切れるその
XS400を4万円だか5万円だかで譲り受けた。
雪が降り始める前にそのXSで実家に帰った。
代わりに車の運転連中名目で親父のカリーナ・サーフを
借りて金沢に帰る。
年末までは車がある生活を送っていた。
年末には車で実家に帰り、年明けに雷鳥で金沢に戻った。
そこで初めて雪を体験し鬱になった。
金沢南郊での生活を引き上げて実家に帰ろうと思った。
多分あの時の精神的なショックでいまだにスキーとかスノボとか
唾棄すべき行為なのである。
レジャー系で雪に慣れ親しんで行った南国連中とはかなり精神形成が
違うのである。
あの暗い冬の生活を味わえる様になるまで数年を要した。
冬休みと春休みには家業を手伝いながら金を貯め、
週末にはXSに乗っていた。
しかしXSはボロボロのガシャガシャのバイクであった。
春休みが終わり金沢南郊に戻ってからバイク屋巡りが続いた。
まだまだ雪がところどころ残っていたと思う。
ロクに金も払わずXJ400を22万4千円で手に入れた。
4千円は前の持ち主が滞留していた税金だった。
XJの前の持ち主は学校の先輩でなんだかんだで
RPMの集合管を譲ってもらうことになったのだが
金が無いのでほぼ踏み倒しかけた。
町に払う税金も支払っていないため、
元の持ち主の友人である武闘派系の先輩連中や
町の税官吏に追いかけられる生活をしばらく送ることになる。
町の税官吏はただの木っ端役人の風情ではあるが
武闘派系の数名はそれなりに迫力があった。
元の持ち主を含めて4名程?にアパートの駐車場で取り囲まれたりした。
借金の取立て要員として強面系を使うのは昔からの
常套手段である。
よく考えればバイクの残金も完済しておらず、バイク屋にも
おいかけられても不思議ではなかったが、
電話とかもなかったのでバイク屋からの督促はあまりなかった。
むしろこちらから数回バイク屋に出向いて支払いの延期をお願いしに
行った。バイク屋の丁稚の兄ちゃん(オーナーではない)は
「まぁいつでもええんでぇ〜ねぇがぁ〜」と能登訛りの金沢弁で
悠長な対応をしてくれた。
まだまだ我々が過ごした昭和の地方都市はゆるい雰囲気が残っていた。