或る日色々な思惑が交錯する中で僕は実家で生まれた。

或る日色々な思惑が交錯する中で僕は実家で生まれた。

実家の所有者自体は父のものであったのかまだまだ銀行のもので
あったのかは知らないがとにかく僕は実家で生まれた。
下町というかどちらかと言うとスラム街に近い風情が残る
昭和の街なみであった。
その実家から数百m先には小学校があった。
或る日、家の前の通りと小学校の間、つまりは
T字として交差する形で国体道路の建設が始まった。
昭和天皇がやってくるという理由からである。
国体道路とやらはそれを阻んだ住宅を全て取っ払った形で
建設が進んだ。
つまり計画線上に住んでいた住民は全て引越しさせられたのである。
長屋に住んでいた連中は改良住宅という名前の集合住宅に引っ越すことになった。

僕はまだ小学校に上がる前で幼稚園の園児であった。

昭和天皇の前で集団演技をしたのである。
それは体操服を着て、胴体が十分入る太さのエンビのパイプを
輪切りにし塗装したものを用いて集団で体操の様な踊りのような
集団の演技を見せたのである。

小学校に上がってしばらくしてから今の実家に引っ越すことになった。

Go Westというよりどちらかと言うと本家筋に近い方角で東に向ったのである。