『夏美のホタル』

『海辺の生と死』を観てから『君の膵臓をたべたい』を観た。

その後で『夏美のホタル』を観た。
プロのカメラマンを目指す人間が主人公なのだが、流石邦画
詰めが甘くリアリティが無いところが結構あった。

主演女優がバイクの運転免許を持っているとかいないとか
そんなことはともかくとしてカメラの扱いが完全にインチキ。
まぁバイクのところもリアリティが無いけども。
普通どんな田舎でも道路の上にテントは張らない。
 (野宿したことが無いのだろう)

さて、映画の中で使われていたのがNikonのF3とMFのレンズ。
焦点は適当に合わせるような動作はしているが
露出を確認したり合わせたりしている動作は無い。

F3の場合、露出補正等々結構頭を使わないといくらフィルムカメラ
だと言ってもそうそう簡単では無い。
せめてフィルムを交換するシーンとかあれば少しはマシだった。
ちらっと写っていたのはカラーフィルムに見えた。
 
滞在先の民家で急に現像を始めたが…。

現像液とか印画紙とか持ち歩いていたのか?
赤外線の電球はどうしたの?
一番の問題は露光機(引き伸ばし機)はどうしたのか?

SRに積んでいた様には見えない。

肝心な写真行為の描写が雑過ぎた。

『漁港の肉子ちゃん』西加奈子

昨年くらいからか、ひよんな事から西加奈子の小説に触れる機会に恵まれた。

久々に小説に耽溺出来るようになった。
近年の小説は商業第一主義的で、安っぽく、最後まで読み続けられない
お粗末な小説ばっかりだった。

西加奈子の小説を読むときは、あっと言う間に読まずに
ゆっくりじっくり時間をかけて読む。

『漁港の肉子ちゃん』もゆっくりゆっくりと読んだ。

あとがき、文庫本版あとがき、解説…
全部でワンワンと泣いた。

本筋でも泣けたが、西加奈子が何故こうした小説を書くのか?
という小説行為の根源的な理由についての記述で泣いた。

『地獄でなぜ悪い』

長いようでいて実際にはごく短い期間なのかもしれないが、
24時間拘束が延々と続くと身体だけでなく魂も壊れてくる。

ようやく一瞬だけだが人生の句読点を打てた気がする。

弁当を作り、山を歩いて試写を続ける。
曇り空に冷たい強風が吹く。

午後早くに自室に戻り、麦酒を数本呑んでから
新しいウイスキィーを開栓しオン・ザ・ロックスで3杯。
旨い!
まぁいただいた本人様の結婚の祝いを個人的に独りで行って
いただけなのだが。
丁度本人様から電話があったのですぐにコールバックして
状況を伝えた。

焼き飯を作って食べ、しばらく横臥した。
午後9時電話で叩き起こされた。

しばらくしたら覚醒してきたので、
園子音監督作品の
地獄でなぜ悪い』を続きから観る。

途中からげらげら笑いながら見る。
 明るい狂気!
深作作品とかブルースリーとか観て育っていないとこの作品を
深くは味わえないとは思ったが、そんなの知らなくても
十分に明るい狂気!は味わえると思う。

 ここ数か月、否、ここ数年のくだらないウダウダやグダグダ
全てぶっ飛んだ気がする。

 映画の持つ根源的なパワーを感じた。

NikonがDLの発売中止や大規模なリストラを発表していた。

 これも一つの転換期なのだろう。

OLYMPUS μ[mju:]の時代

或る日、突然、オリンパスのミュー(初代)が手元にやってきた。
ほどなくしてミュー2に切り替わる。
かなりの長い間ミュー2を使っていたが、或る日既に生産中止品で
手に入らない事を知る。

初代のミューは一台だけだったが
ミュー2は何台使ったのだろうか?

フィルム時代のスナップのほとんどはミュー2で撮ったものだ。
本当によく出来たカメラだった。
レンズは35mm/F3.5の固定焦点から35mm/F2.8になり、
そして一番良かった機能は”ストロボ”発光禁止モードがあり
これは常時”発行禁止”にしていた。

あれから代々の小型カメラはディジカメに移行しているが
先ずは”フラッシュ”発光禁止モードがあるかどうか
一番の選定理由で、次はサイズとレンズの焦点距離と明るさ。

広角系も35mmから28mmになり、25㎜とか中途半端な画角を経て
ようやく24mmまで辿り着いた。
が、日常的にスナップ目的なら35mm位での画角で十分ではないか?
とも思う。

近年のコンパクトは1年もたないので
昨年よりOLYMPUS TG-4 Toughを導入した。
焦点距離(35mmカメラ換算)4.5mm〜18.0mm(25mm〜100mm)開放F値 W2.0〜T4.9
と改めて調べてみると広角系は25mmだった。
流石に丈夫だと思ってきたが…最近動画撮影時のAFの外れ方が酷く
やっぱり”お前もか?”という結論。
防水・防滴・防塵…等々の外装は素晴らしいかもしれないが
中の制御系の寿命には限りがある様だ。
 ともかくモータとかセンサーとかどこかがおかしくなって
AFの外れが酷くなっていくのだろう。

悪魔の三姉妹

年々悪魔の三姉妹の囁きが酷くなってくる。

PentaxのFA Limitedというシリーズのレンズ3種類である。

SMCP-FA 77mm f/1.8 Limited
SMCP-FA 43mm f/1.9 Limited
SMCP-FA 31mm f/1.8 Limited

どれか一種類を選べばいいようだが、そうもいかないらしい。

どれもこれも中途半端な焦点距離で、フルサイズ機が出るまでは
APS-C機しかなく、余計に中途半端な焦点距離だった。

大半の作例が”花”か”猫”の柔らかいイメージのモノばかりである。

ここにきてこれらの悪魔の三姉妹だけでなく
昔っから使っているアサヒペンタックスのMFレンズを
フルサイズ機で使う方法を思いついた。

結局悪魔の囁きから逃れることは出来ないのだろうが…
ある程度は自分自身に対して言い訳は出来る。
 ただ余計な詐欺沼にはまり込む可能性があるが。

さて、どうするか?

Fuji Film Bene



あの冬に中国に行った後にも色々な人やモノに出会った。

中国の後は再度韓国に行ってからその次は印度だ、と漠然と考えていた。

SADEに出会い、そして印度展で
藤原新也の著作に出会い、本物のシャルミラ・ロイの生演奏を聴きながら
タゴール・ソング」を知った。

それから約1年後に印度に行くことした。

印度に持っていく機種選定にあたり、色々な機材を探したが
最終的にはフジの"Bene"に決めた。

乾電池で動作し、内容はフィルム交換が出来る”写るんです”という仕様に決めた。
まぁ当時はそんな気分だった。

Pentax Program A

当時同級生のほとんどが自動車学校に通っている頃
製造工場に通って日銭を稼いでいた。

その時のバイト代のほとんどを突っ込んで手に入れたのが
Pentax のProgram A で 35mm-70mm (3.5-4.5)のズームレンズ
(今で言うところの撒餌レンズとかKitレンズ)がセットになっていて
老舗の女将に騙されてストロボまで一気に買わされた。

先ず当時のフィルム感度とこの暗いレンズはほとんど使い物にならず、
またストロボも役立たずで、今でもともかくストロボの類は一切
使えないし使わない。
レンズ自体はそんなに悪くなかったのかもしれないが、ともかく暗かった。
そしてコンパクトなボディの割にこの暗いレンズを付けると重かった。

ある時某所で中古の24mm(f2.8くらいだったか?)を手に入れてから
このProgram A + 24mmが旅カメラになった。
 この組み合わせでどれだけの枚数の写真を撮ったかわからない。

ボディの方は丁度20年使ってから捨てた。
(17年目を超えたあたりから電子回路の問題だと思われるが
 AEが効かなくシャッターが切れなくなった)

同時期に昔憧れたSuper Aが中古で手元にやってきたことあって
何のためらいもなくこの20年選手のボディを捨てた。